仕事が自由に選べるのは良いことなのか?

昔は、
農民の家に生まれたら農民
商人の家に生まれたら商人
武士の家に生まれたら武士として生きるしかありませんでした。

だから、今の時代はいろいろ仕事が自由に選べてすごく良い時代になりました。
めでたしめでたし…

 

という話をしたいわけではありません!

たしかに、たくさん仕事が選べるのはいいことですけど、多すぎますよね?
多すぎるとどうなるか?

その仕事に就くことが目的(目標)になってしまうんです。

仕事は世の中に多くのものがあふれていますよね?
野球選手になりたい。
医者になりたい。
歌手になりたい。
記者になりたい。
プログラマーになりたい。
お菓子屋さんになりたい。

しかし、これらは単純に○○が好きだから、○○になりたいと浅はかに選んでしまっているんです。多くの人が…

でも、昔のように仕事が一つしか選べなかったら、もうどうすることもできませんよね?

一生この仕事で生きていくのか…と悲観的になるかもしれません。

しかし、昔の人は違います。
職がすでに決まっているからこそ、その仕事の中でもどんな働き方、生き方をするか?
ということに目を向けることが出来たんです。

 

例えば、お菓子屋さんになることが夢だとしても、どんなお菓子屋さんになりたいですか?と聞かれて即答できる人はいるでしょうか?

答えられない人は、手段が目的になっているからです。

お菓子屋さんになりたいというのは、あくまでも手段です。
手段にこだわっているだけなんです。

いくら手段にこだわっても、目的が決まっていなければ、意味ないんです。

お菓子屋さんとして、お菓子を食べてもらって、
人々を感動させたい
人々を驚かせたい
人々を楽しませたい
など、いろいろ目的はあるんです。

さらには、お菓子屋さんとして働くとしても
お菓子作りをしたいのか、営業をしたいのか、販売したいのか?
によっても分かれます。

お菓子が好きだからといって、製菓学校に入ったのはいいけれど、実はお菓子を多くの人に知ってもらう営業がやりたかったということに気付くかもしれません。

 

僕の会社で働いていた、製造部の女の子は製菓学校を卒業して入社したわけですが、思っていたのと違ったみたいです。

毎日、朝早く来て卵を30分以上割り続けて、
次に別の人が作った生地を1時間以上も型に流し込み…
ふと疑問に思ったようです。

「あれ?私は何を作っているのかしら?」

お菓子を作っているのはもちろんですが、
やっていることはただの作業です。

この女の子がやりたかったのは、お菓子を製造することではなく
お菓子を開発・企画することだったようです。

趣味でお菓子作りを始めて、自分でどんなお菓子をどのように作るのか?
そんなことを考えながらお菓子を作るのがとても楽しかったから、
製菓学校を経て、お菓子屋さんに就職したかったようなのです。

当然、上からの指示でノルマを目指してひたすら、同じお菓子を作り続ける
というのは、全然やりたいことと違っていたようです。

そして会社を去っていきました。

 

話は戻りますが、
人々を感動させるお菓子を作りたいというのと
人々を感動させるお菓子を紹介したいというのは手段は違いますが、
目的は一緒です。

以前の記事でも言いましたよね?
目的さえしっかりしていれば、手段はいくらでも変えられる。

でも、もしお菓子作りを仕事にしたいと思っていても
真の目的が「人々を感動させる」ということだとして、
それに気が付かずに、「人々を楽しませる」お菓子を作ってしまっていると、
あれ?なんか違う…ということになります。

どんな人間になりたいかが決まっていれば、目的を見失わずに、
「あれ?なんか違う…」ということはないはずです。

 

しかし、それに気が付けずに、なりたい職業になれないことが分かったから
もうこの人生は終わった…と諦めてしまう人が多いのが現実です。

僕も、高卒だから好きな職業には就けないと諦めてしまっていましたが、
自分がなりたい人間というのは、職業とは無関係です。

 

Kさんというすごいコンサルタントがいるから、自分もコンサルタントになりたいと思って、実際になっても目的が決まっていなければ、「なんか違うなあ」となります。

Kさんが仮に日本の働き方を変えたいと思っていて、自分も日本の働き方を変えたいという同じ目的が持てるのであれば、Kさんと同じコンサルタントでなくても、別の方法でもそれは達成できるんです。

ひどいのは、その人がコンサルタントとして稼いでいるから、自分もコンサルタントになれば稼げると思ってコンサルタントになってしまったらどうなるでしょうか?

目的が決まっていないので、実際には全然稼げないんです。
それどころが全然楽しくないんです。
そのKさんはコンサルタントという手段をとおして、一体何を目的に生きているのか?というところまで知らないと、手段だけ真似してもうまくいくはずがないんです。

憧れる人のやり方を真似するのではなく、その人の生き方や考え方を真似しないといけないんです

 

今思うと、僕は高卒だから職があまり選べないことが嫌になっていたけれど、
その時はまだ何者になりたいのかすら決まっていなかったから、
逆に適当な大学に進まなかっただけラッキーだったのかもしれません。

今になって、ようやく自分がどんな人間になりたいかが定まってきました。
高校卒業して適当な大学に入って適当な資格を取って、後戻りできない方向へ進まなくて本当に良かったと今は思えます。

何者になりたいのかもわからずに、焦って大学を決めて、焦って就職するのでは、幸せになるのは難しいと思います。

日本の教育に、本当になりたいものについて考える時間をもっと取るべきだと本当に思います。

 

PS.

 

少し規模が小さな話になるけれど、手帳で悩んでいたことがあります。
アホみたいに膨大な時間を使ってしまいました。

どんな手帳を使うかということにこだわっていました。
でも今は、目的がはっきりとしているので、手帳で悩むことはなくなりました。

ネットですごい面白い手帳の書き方をしている人を見て、
「自分もやってみたい!」と思い、ほぼ日手帳(手帳ランキング1位)を買ってみたり、

一冊にすべてがまとまってる手帳を見て、「自分もこれ欲しい!」と思って、
4万円もするシステム手帳を買ってみたり。

結局今は使っていません・・・

要するに、他人のやり方を見てすぐに「やってみたい!」と思うのは危険だということです。
目的がないのに、手段が先走ってしまっています。

PPS.

正直、手帳で何年も悩んだので、その時間を有効活用すべく、手帳コンサルなんてものをやってみようかなんて思ったりもします。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA